
宇治茶は、水と栄養豊富な土地と昼夜の温度差のある斜傾の丘陵地で水はけもよい処でつくられる。
それなのに湿地帯の干拓された土地に茶園を移すのは無謀すぎたのではないかという問いに吉田勝治さんはことなげもなくポッリと言われるだけだった。
旧巨椋池の島に茶園をつくる
もちろん干拓された巨椋池の土地は、吉田勝治さんのお父さんが、小倉の丘陵地を手放したお金で購入した。
小倉の丘陵地を手放したわけはこれから追々述べたい。
愕くのは、干拓された旧巨椋池の島に茶園をつくることで宇治茶の風合を残そうとされたことにある。
現在の旧巨椋池は、住宅街と平坦な畑しか見受けられない。

巨椋池にはたくさんの島があった
だが、よくよく調べると吉田さんの育った家の丘陵地から東側に島があり、そこは蛭子嶋神社とよばれ、昔は、巨椋池の中洲で「夷島」と呼ばれていたこと。


旧巨椋池は、宇治川、桂川、木津川の氾濫原であったが、中州として多くの島が点在していたのである。

巨椋池干拓の時に「巨椋池干拓は、干拓後の農地を考慮し、池の底部を小倉堤や池に点在した島で埋めた程度に留め」ていたことを吉田勝治さんのお父さんは熟知していた。
どこが水田耕作に適した土地か。
どこが茶園に適した土地か。
を見抜いて干拓された土地を購入したのである。

茶栽培に欠かせない、水はけと土壌をどう育て上げるか、という難問が横たわっていたはずである。
宇治茶づくりしてきた吉田勝治さんのお父さんにとっては、難題ばかりの生活だったのであろう。
茶園を移す、ということは難題ばかりの生活のほんのひとつであったかも知れない。
宇治茶の伝統とお茶を守り抜く底知れない愛情を感じる。
