宇治茶の歴史を伝える銘茶園がまた一つ消え The famous tea garden of Uji tea is disappearing.
2020年 01月 15日
だが、宇治茶の歴史は今一番困難な時代をむかえている。
唯一守る奥の山茶園 だが歴史的な宇治七名園は
宇治の堀井七茗園の堀井さんは、宇治茶の伝統と文化を後世に伝えるために多大な尽力を尽くされている。
とくに、源氏物語宇治十帖で明らかにされている「七名水」「七名園」の宇治七名園が次々と消されることを(Fb株式会社堀井七茗園)などで次のように書かれている。
https://www.facebook.com/search/top/?q=%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%80%80%E5%A0%80%E4%BA%95%E4%B8%83%E8%8C%97%E5%9C%92&epa=SEARCH_BOX
宇治七名園の一つ「森」園跡が整地され更地になり、建立されていた「石碑」も行方不明のようです。
モノクロ写真のように以前は、風情ある土塀と門構えに石碑が溶け込んでおりました。(写真は宇治市文化財愛護協会発行「新・宇治の碑」から)宇治茶の歴史を伝える証がまた一つ消えたようで悲しくなります。
昭和の初めに建てられ、当時のままの七名園の石碑は三か所になりました。
「森」園の茶は「〇〇の森」と多くの抹茶の茶銘に使われる由緒ある茶園でした。
石碑を保存して頂いていることを願います。
として、堀井さんは、室町時代足利将軍は宇治茶の良さを認め,後世宇治七茗園と呼ばれる優れた茶園を宇治の地に七ヶ所指定したと書いている。
さらに、
「森、祝、宇文字、川下、奥の山、朝日に続く琵琶とこそ知れ」
と和歌にも詠まれた七つの茶園は都市化の中で姿を消し、当園が栽培しております「奥の山」茶園だけが現存する唯一の生業茶園となりました。
宇治川、平等院を見下ろす高台に位置する「奥の山」茶園では今も昔ながらの伝統栽培が行われ、毎年八十八夜を過ぎますと、新芽が出揃い茶摘女による茶摘が行われております。
このことを知れば、宇治茶の伝統と文化遺産は、現在最も危機に直面しているとも考えられる。
霧と茶園と土壌
宇治七茗園の茶園のほとんどは、宇治川、平等院を見下ろす丘陵地に存在位置していた。
宇治茶は、水と栄養豊富な土地と昼夜の温度差のある斜傾の丘陵地。
茶木を育てる場所は、茶木の芽の大敵である霜を防いでくれる霧が発生しやすく。水はけもよい処とされた。
だが、現在の吉田銘茶園は一部を除いて丘陵地で栽培されていない。
この疑問に答えてくれるのが、吉田勝治さんのすんでおられる近くの地蔵さんであることが解ってきた。